わすれじお えんうすかりし ははのこと
忘れ潮。
岩の隙間などに引き潮が残ってしまって、水たまりのようになったところ。
春の穏やかな天気で、海水は生ぬるくなり、イソギンチャクや小さな魚やカニなどがいることもあり、大人のひとり遊びの場といった感じです。
海水や砂を触りながら、何やかやとアタマを巡ります。
今なら離婚の際、母親が子どもの親権をとり、養育費をとりながら育てるのだろうけれど、あの人は、なんでわたしを残して出て行ったのか。
今となっては知るよしもない。
大人になって遇ったけれど、ほんとうに必要なときにいなかった人では、とうてい親とは思えない。
それに時間が経って遇ってみると、もうちょっとちゃんとした人かと思っていたのに、大いにがっかりしたものです。
愛されることなく育った人間は、砂地に生えた木のように、あとから肥料をやってもするする抜けていって、どうにも補えないのです。
俳句の教室でも、母を思い、子を慈しむ、仲間や先生の作品に会うと、吐き気がしそう。
大昔、作家の柳美里が似たようなことを言っていたような。
人から明るいとか楽しいとか言われるたび、内臓をカマキリにかじられているような気になります。