ひとつみち いればばしゃみち くれのあき
福岡市は、まあまあ都会のうちかと思っていたけれど、どうやらそうではないみたいです。
幹線道路をひとつ奥にはいれば、戦前のままの、牛馬が通った道。
街づくりなどというものは、表だけ。
誰も彼も、供出などせず、役所もろくに働きもせず、道路に満たない道があちこちに、まるで迷路のように、張り巡らされている。
一軒一軒の敷地はひろく、庭でクルマはハンドルをきらず、くるりと回れる広さながら、離合できない道を、苦労しながら、使っている、そんな感じです。
孫子の代のことなど、考えないんでしょう。
べつにいいけど。