一 村 を 滝 壺 に せ り 送 り 梅 雨

いっそんを たきつぼにせり おくりつゆ

もう30年以上前の話です。
長崎豪雨。
あの年は、じとじとといつまでも梅雨が明けず、洗濯物は生乾き、乾燥機など無かった時代でした。
わたしは体調を壊し、以前経験した貧血だろうと勝手に決めて、市販の大瓶の真っ赤な錠剤を飲み干し、それでも良くならないものだから、やおら病院に足を運びました。
行きがけのタクシーの運転手さんが、バイクの事故を目撃し、「こんな日は、ろくなことはないもんな」と独り言。
病院というところは、変に疲れるところで、夕方から、薬のせいもあって、ぐっすり寝込んでしまいました。
目が覚めたら、もう6時過ぎ。
窓を開けていたため、降り込んだ雨で畳はぐしょぐしょ。
雨音が激しすぎて、電話の声も聞こえない。
緩い坂の途中に建ったマンションは、雨の勢いがひどくて渡れず、消防車で、渡してもらう人がいました。
ですからまだその時は、水害の一歩手前の時間だったのでしょう。
テレビは映りました。
たしか299名が土砂崩れで亡くなりました。
当時長崎市滑石地区は、幹線道路からの入り口に位置する山が崩壊し、向かい側にあった、時計屋さんと美容院が被災し、その後長い間通行止めでした。
大村の水源地に、何人か人が浮いていたとのうわさで、ミネラルウォーターが飛ぶように売れました。
遠い昔のこと、この豪雨で思い出しました。