だっさいき かんけつせんの おおいとれ
正岡子規の命日を、ダッサイキと呼ぶことがあります。
獺祭とは、カワウソ( 獺 ) が、捕らえた魚を並べ、先祖を祭るさまを指します。
カワウソは、捕らえた魚を川岸に並べる習性があるそうで、転じて多くの書物を調べ、引用することを指し、子規は、自分を獺祭書屋( だっさいしょおく ) 主人と号したところから、子規の命日 9月19日を、獺祭忌とも呼ぶそうです。
また、彼の庭にあり、最後まで詠んだヘチマにちなんで、ヘチマ忌と呼んだりもします。
わたしは、一定の時間をおいて、時計のように正確に熱湯を噴き出す温泉、間欠泉を覆っている岩を取り除いたところを見たくてしようがありません。
人工的に押しとどめることなく、空に向かって高速で源泉が噴き上がるさまを見たいのです。
正岡子規の才能と人望が、結核という、当時国民病と言われた病で若くして摘み取られたこと。
計り知れない無念。
それはサダメというものかもしれません。
最期は長く寝たきりで、それでもあれだけの天才に、病さえなければ、自由に歩き、大好きだったという野球をしたり、人生を謳歌することを神さまは許さなかった。
不条理だと思うのです。