はくしゅうの こうかとどろけ こうしえん
北原白秋という人は、幼い頃から感の強い育てにくい子だったそうですが、大人になってからも、仕事が波に乗り出すと、引っ越しとオンナを取っ替えるクセがあったとか。
校歌も、頼まれればいくらでも作ったようで、白秋作詞の校歌を持つ学校は数知れず。
官営八幡製鉄所の社歌も。
9割は山田耕筰作曲で、ふたりは依頼された学校を極力訪れ、校風や歴史や諸々を見知ったうえで作ったと言われます。
当時、校歌を作ることは、格式を高めると、ひとつの流行になっていたとのことです。
才長けた売れっ子だったと聞きます。