はるどとう なごやのしろの おおいしがき
秀吉の朝鮮ひいては明出兵のために造られた名護屋城、天守閣から茶室、城下町、各大名の屋敷まで揃え、今見ると信じ難い大きなまちがつくられていたとか。
秀吉逝去をもって終わりとなったこの計画により、朝鮮半島にはおぞましいほどの犠牲者を出し、老害の狂った夢のために、大勢の人間が引き回された数年だったろう。
今は石垣だけが残る城址は、他の城とちがい、大岩をそのまま組み入れた荒っぽい石積みであります。
玄界灘の海はいつも荒れていて、叩きつけてくる浪と吹き荒ぶ風が、当時の工事の困難さ、虚しさをものがたります。