おもうほど ふこうではなし しがきなり
直す前は、
「思 ふ ほ ど 不 幸 で は なし 施 餓 鬼 か な 」
としていたのですが、先生から「理屈っぽい」との評価を受け、書き直しました。
供養されることなく、餓鬼に苦しんでいるとされる無縁亡者に、経をあげ、飲食を施す法会のことだそうです。
決して、人に迷惑をかけたり、人をあやめた亡者の霊をいうのではありません。
不幸にも供養してもらうことのなかった亡者たち。
餓鬼道をさまようことなく、おだやかに仏になれという思いをこめた法会という。
供養されなければ、餓鬼道に落ちるというのが、まず納得できないのです。
だったら親兄弟、親類縁者のないものは、成仏できないということでしょうか?
仏って、そんなに心がせまいのですか?
家制度もとっくに崩壊した現代では、家に寄り付かない子どもらは、少なくないと思うのです。
より集まって、坊さん呼んで、お経をあげてもらわないと、死後情けないことになるなんてこと、あってはならないと思うのです。
寺が儲かるだけのような気もするのです。
死者は、いつまでも、生きて必死で生活しているもののジャマをしてはいけない。
三回忌、七回忌、十三回忌などと、生きている者に時間とお金をつかわせるものではないとも思います。
ときどきあなたのことを、何かの拍子に思い出してくれる人がひとりでもいればありがたい。
いなくても、それはそれ。