さつきやみ あおしんごうは とおりゃんせ
さみだれが降るころの、深い闇。
漆黒の暗闇が訪れるのです。
街灯もない線路沿いの道は、暗すぎて。
たったひとつある三叉路には、信号機とカーブミラーが設置されています。
クルマは少ないから、来ないと思って飛ばすのか、事故もあるのでしょうか。
それとも単に見通しが悪いからでしょうか。
そしていまだに、メロディーは「通りゃんせ」
通りゃんせ、通りゃんせ
天神様のほそ道じゃ。
行きはよいよい、帰りは怖い。
そのむかし、酷い貧困にあえいでいた農村では、一家全員が餓死してしまうことを避けるために、止むを得ず子どもを殺してしまうことが珍しくはなかったといいます。
骨と皮になって餓死するより、楽に死なせてやろうとの親心とも。
死ぬことを決められた子どもが、あの世で少しでも幸せになれるようにと始まったのが、天神様詣り。
当時、天神様の境内で子どもを殺せば、魂が迷わずあの世に行けると信じこまれていました。
子どもを連れた親が天神様に参拝に訪れ、帰りには子どもの姿はないのです。
子どもを殺して森に埋めた母親は、子どもの霊が寂しがらないように、振り返ることなく立ち去ったとのことです。
それが、「行きはよいよい帰りは怖い」となったそうです。