ななかまど しんちゅうぐんの ありしまち
戦後長くアメリカ軍とその家族が住んだ町です。
鉄道の途中に新駅ができ、競馬場や野球場がベースの中に作られた。
とても広い土地で、今ではその中に、高校、大学院、市役所、警察署、ハローワーク、呆れるほど大きな公園、その他役所関係が悠然と建てられています。
賃貸の公団住宅も30棟をはるかに超えて建設され、長い時間が経って、今でも小学生で溢れかえっており、少子化がウソのようです。
此処は、聞いた話では、90年の借地契約が、住宅都市整備公団となされ、地主である地元の農家は、孫の代まで、大金が入り続けるとのことです。
当時は、年に何度か、地元の子どもとの野球大会が催され、アメリカでは、子どもも硬球を使うと驚いたとか。
アイスクリームは、日本のそれとはまったくちがう、バターやミルクたっぷりの本場のものを振舞われたらしい。
街にはすぐにそれとわかる、独特のそしておんなじカタチのコンクリートの平屋が並び、立ち飲み屋も紳士服店も、靴屋も英語の看板を出していて、それは米兵が去ったあともずいぶん長く、変えられることなく放置されました。
駐留が縮小され、この街のアメリカ兵が本国に帰ると、自身を恋人と思っていたらしい女性の、鉄道自殺が続いたという。
想像ですが、「落ち着いたら呼んでやる」などと、甘い言葉にだまされ、結局のところ捨てられたということでしょうか。
当時のこと、ムシロと呼ばれるワラを雑に編んだ物を被せられ、しばらく放置。
かわいそうなことだったと、当時を知る人が言います。
司令部は今は航空自衛隊の駐屯地となり、つまり有効活用されています。
道路は、当時の日本人では考えつかないほど広く、まっすぐ整えられました。
まさに米軍道路です。
今になって思えば、ベースがあったせいで、返還後の土地の整備はみごとになされ、見ばえ良く、効率的なキレイな街になりました。
長い長い時間をかけて。