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雁の寺(2)

上京区の久間平吉は、孤峯庵の檀家だったが、慈海の等級別表によると、二流であった。
その久間家から使いが来て、亡父の3周忌だから読経を頼むといってきたのは11月の7日だった。
慈海は慈念を呼んで、「お前、久間の家へ行って経あげておいで。
わしは源光寺に行かにゃならん」と言った。
「陀羅尼と施餓鬼を読んでな。それから観音経をあげて回向しなさい」
と言ってから、本堂に連れて行った。
引き出しから出した過去帳を繰って、久間家の3年前に死んだ平太郎の戒名をしらべた。過去帳は死人の登記簿である。
居士だ、信士だ、信女だとかの戒名を書いた分厚い綴じ帳である。
指に唾つけて、ぺらぺらめくっていたが、「あった。あった。これや、よう覚えとくんや」
と慈海は言って、芳香智山居士と書いたところを見せて、「ええか、読んでみい」
「ほうこうちさんこじ」
慈念は棒読みに読んだ。
そうしてまた口の中で、その戒名を繰り返した。
慈念は出かけた。
慈念は背が低いわりに、足は速かった。
劣等感を、速足によって補っているように見えた。
大人より速い。
黒染めの衣を着て、小股歩きに、頭を前に突き出して歩く慈念の姿は、町の人の眼をひいた。
「おもろい坊さんが歩いてはる」
町の人のそんな眼に慈念は慣れていた。
盆の棚経には、朝から十何軒もの檀家を廻ったが、人の眼を気にしていては一軒も廻れない。
慈念はわき目もふらず歩く。
人から蔑視されているのを知っているから、尚のこと速く歩く。
久間家は工業薬品卸業で市電道路に面してあった。
久間平吉は、慈念が店から上がってきたとき、おやと思った。
慈海が来なかったからである。
慈念が来たということは、一級落ちたのか。
平吉は不服そうな顔で、慈念が仏間に通るとき呼びとめた。
「和尚は?」
「うちで寝てはります」
慈念はそう答えて仏間に入った。
間もなく読経の声が聞こえた。
仏間へ行く途中に、平吉の兄が寝ていた。
ぜんそくである。
日当たりの悪い中の間で蒼い顔をした病人は、慈念の経を聞きながら目を閉じていた。
平吉は後ろにきて、お布施とお菓子を盆に載せ、終わるのを待っていた。
慈念は、観音経の段になると、ふところから写本を出して拝みながら読むので時間がかかった。
丁寧なおつとめだとは思うが、平吉としては和尚ではない慈念の読経はどことなくありがたみが薄い気がする。
病人がいる。
店の番もある。
平吉は気がせいていた。
ようやく経が済んで、慈念はうしろに向き直った。
中の間の病人が、少し動いた。
その方を慈念はじっと見ていた。
平吉の兄は二度喀血をして、医者が見放しているという噂は慈海から聞いていた。
その平三郎は今大きないびきをかいていた。
がおーっと喉に風が通るような音を立てて、すぐ吐く息が途絶えたりする。
「こうして、もう三日です」
慈念は病人の、天井を向いた顔を見ながら、急に思いついたように言った。
「和尚は修行に出たいいうてはります」
「和尚さんが」
平吉はおかしなことを言うなと耳を疑った。
平吉は信心の厚いほうだし、死んだ親から、慈海老師は師家級の僧だと聞いていた。
孤峯庵は本山塔頭の上位にある寺だ。
開山は夢窓国師で、寺格も高いと自慢していた。
その住職の慈海和尚が、まだこれから修行したいというのはどういう意味か。
「お小僧さんはどないしますのや」
「はよ中学出て、僧堂へゆきたい思います」
「坊さんの修行もえらいですなあ」
店まで送ってきて、慈念が敷居をまたぐと、思い切ったように呼びとめて、腰を屈めて、慈念の耳に言った。
「もうじき兄が逝きますのや。
兄がいんだら、また葬式出してもらわんならん。
和尚さんによろしゅう頼んどったと言うてください」
慈念は無表情な目を道路に投げていた。
歩き出した慈念は、交差点の向こうの菊川金物店という刃物屋に入った。
包丁と鎌と鋏が西陽をうけて、その刃先が光っているのを少しの間うっとりと見た。
「これ」と小さく言って、肥後守(ひごのかみ)を指した。
鉛筆削りにでも使うのだろうと女将は思った。

夕方近く慈海は源光寺へ出向いた。
源光寺にゆけば慈海は必ず夜遅く帰った。
酒が出るからだった。
その夜12時を過ぎても慈海は帰らなかった。
里子は眠れなかった。夜半から風が出てきた。
裏戸が鳴りはじめた。
3時の音を聞いた。
今まで、檀家廻りに行って酒をよばれても、2時までには帰った。
外泊するときは言い置いて出る。
だから里子は、慈海が帰らないのは、何かあったという気がした。
しかし異変が起きたら、源光寺の住職から報せがあるはずだった。
何処かで脳溢血にでもなって倒れたとしても、通行人か病院が知らせてくれるはずである。
何処からも消息はなかった。
くぐりの鎖がきりきりと鳴り、玄関に入ってくる足音がした。
久間平吉が立っていた。
「和尚さんいやはりまっか」
「留守です」慈念はきっぱり言った。
「どこゆかはったんどす?ま、昨日はおおきに!」
「やっぱり兄は逝きましてん。今朝がたぽっくり。
そいで、明日の昼から葬式出しとくれやすな。
頼みまっさ。帰らはったらよう言うとくなはれ。
そやな、二等ぐらいのとこで」
慈念は久間とのやりとりを里子に話した。
里子はまだ呑気に構えていた。
慈海はまだ何処かで寝ているぐらいに考えていた。
11月8日の昼過ぎに孤峯庵の慈念が、源光寺の庫裡の玄関を開けたとき、和尚の雪州は縁の日向で剃髪していた。
このところ慈海和尚は来ていない。
誘っても碁を打ちに来なかった。
雪洲はちょっと不審な顔つきになった。
慈年の顔がいやに緊張していて、しかも蒼ざめていたからである。
眼つきの悪いのは、この少年の額が人一倍飛び出ていて、奥目のかげんであることは充分知っている。
「久間はんとこの人が亡くなりました。葬式してくれ言うて来やはりました。和尚と約束やったそうです。用意もせんなりません」
雪洲は久間の店の構えも、平吉の顔もうろ覚えながら知っていた。
肝心の住職が戻ってこない留守中に葬式をしなければならない。
本山に聞こえたら、執事長から大叱責を受けることはわかりきっている。
「慈念」
「誰にも言うな。里子はんにも世間へふれるなと言いなさい。
ええか。葬式は法類でしたる。早よいんで、本堂の飾り付けしなさい」
雪洲は、弟子の徳全を呼ぶと、法類の諸寺へ使いに行かせた。
彼は慈念とともに門を出ると左右に分かれた。
「困ったことやなあ。どこで酔いつぶれてはったんやろ。呑気な話やな」
里子は気だけは焦っても、表に出て差配するわけにはいかない。
本堂の什器一切に手を触れたこともないし、葬式の支度などどうすればいいか見当もつかない。
慈念に任せるしかないのであった。
もしかすると、源光寺ではなく、里子にも秘密にしていた行き先があったのかもしれない。
「別におなごはんつくってはったんと違うやろか」
むらむらと嫉妬が胸を逆なでた。
久間家から使いが来て、「奥の間にペイントの缶が仰山入りましたんで、うちでは狭いよってに、今晩のお通夜は本堂でさしてくれはらしませんやろか」
「約束してはったんならよろしいでしょ、どうぞ」
慈念がそう言った。
慈念は戒壇やいろいろに白布をかけ、香炉を置き、膳も燭台もと大忙しだった。
法類に笑われてもいけないし、久間家に粗末な感じを与えてもいけない。
慈念は慈海に教えられた通りにことを運んだ。
物置から茣蓙を取り出し、シワにならないよう敷いた。

久間平三郎の棺は7時半に着いた。
通夜は、兄の嫁と平吉、それに親戚が二人でおこなうと。
通夜の読経は雪洲が済ませた。
慈念と徳全が交代で起きていることになった。
雪洲は早々に帰った。
帰りしな里子と顔を合わせた。
「やっぱり戻って来んかの」
「調べましたら、黒染の普段衣と黒袈裟がおまへんのや」
「それからここにあった文庫がないんです」
「おかしなもん、持って出たんやなあ」
「久間はんの葬式は知らんのじゃから、暢気に何処かで寝とるんじゃろ」
そして目尻を下げ、「あんた、いじめ過ぎたんとちがうかいな」
雪洲は笑いを残して廊下を曲がって消えていった。
通夜は慈念の差配で進められた。
下間で久間家の四人が待機し、11時に徳全が読経を済ませると、書院の八畳に蒲団が敷かれた。
久間家の者を交代で休ませることとした。
慈念は平吉に言った。
「和尚からいつも言われてます。通夜は香を絶えさせてはなりまへん。
私が気つけてます。
明日のこともありますから、どうぞお休みください」
「おおきにな」
みんな昼間働いているので、眠りたいのが顔に出ている。
「交代に一人ずつ起きてくださいますか」
「へい、そうします」
慈念は観音経の写本を読み始めた。
通夜の読経は、声を張り上げないこと。
小さくゆっくり読むように慈海から教わっている。
下間には平吉が静座していたが、やがて柱にもたれ居眠りはじめた。
12時がすぎ、慈念が三度目の観音経を読み終わったときには、平吉はぐっすり眠っていた。
「もし、平吉はん」
「風邪ひきます。あっちで交代の人が起きはりました。
さ、書院へ戻って休んでください。
2時頃だったか。
平吉は慈念のうしろから、寝ぼけた足取りで書院に連れられて行ったが、障子を透かして、薄明かりの中で、三つの蒲団がどれも膨らんでいるような気がした。
「長いこと看病さして、とうとう死んでしもた。
兄の尿瓶がまだ傍に置いてあるような気がした」
天井の高い書院は、狭い工業塗料店の家よりも、平吉に大きな安息感を与えた。
「どこ行かはったん」里子は蒲団の中でうわ言のように繰り返していたが、彼女にも波のような眠りが襲った。
夜は更け、やがてもう明け方が近づきつつあった。

葬式は雪洲和尚の引導で行われた。
小僧たちは回向に唱和した。
久間家の縁者は28人。
朝早くから、二人が墓地に穴掘りに出かけた。
慈念は茶を出していたが、出棺の準備ができたのを見届けると導いた。
せめて葬式の最中ぐらいには、ひょっこり帰ってくると期待されていた慈海が、まだ戻っておらず、善後策が協議された。
「うちへは来とりません。もうずーっと。
女のことも考えたのですけど、おるものなら私に言うはずですわいな」
「里子はんに聞くと、雲水当時の文庫も持って出とるちゅう話で。
持鉢も袈裟も」
「慈念」
雲州は大声で呼んだ。
慈念は無心に焚き火の上に生竹やらしきびの木やらを被せている。
葬式のあとの屑物を焼いていることは一見して知れた。
なかなかの働き者じゃな!
呼ばれて竹箒をぱたりと落とした。驚いたようであった。
和尚はこの小僧の躰が畸形であることに改めて気づき、まじまじと見つめた。
「和尚さんは、寺を出て旅したいと言うてはったことがあります」
「修行の話をしやはるとき、ぽつんと」
「あのおなごはきついでのう。東福寺の管長のように遁走しやしゃったんか」

ことの顛末
11月7日、久間家の葬式の前々夜のこと。
午後九時頃、慈念は庫裡の玄関から廊下をつたって本堂裏に来た。
内陣のうしろの倉庫の扉を開け、手探りで棚の上の肥後守と竹小刀を取り出した。
風が強い。
床下を透かして見た。砂ぼこりが舞っている。
慈念は鉢頭を床板の裏につけて、じっと眼をすえていた。
やがてゆっくり廊下に上がった。
本堂から庫裡に帰り玄関横の三畳に座った。
手に肥後守と竹小刀を持っている。
やがて静かに立ち上がると、玄関に出て、表庭の暗がりに消えた。
一時過ぎ、キリキリと鎖のきしむ音がした。
くぐりが開いた。
慈海はひどく酔っていた。
石畳から蕗の生えている百日紅の下へふらふらとよろけた。と、その時だった。
何やら黒犬のような影が足元へ飛びかかってきた。
慈海はあばら骨の下に激しい痛みを感じた。腹に突き刺さった竹小刀のせいだ。
竹小刀が胃袋の右側でぐいと上部へ移行して、心臓を大きくえぐった。
続いてもう一本の肥後守でとどめをさされるように力強く突かれた。
血が噴き出した。
慈海はよろめき、前のめりに二、三歩進むと百日紅の木に掴まろうとしたが、その手はつるつるした木肌を滑って力なく空を掴んだ。
う、うっとうめき声を出したが、地べたへどうと倒れた。
蕗の葉の上で痙攣を止めた慈海の躰を黒い影が抱き起こした。
影は本堂との間にある中門を押した。
かんぬきはかかっておらず、すうーっと開いた。
慈念は慈海を引きずって床下に潜り込んだ。
床下には七輪があった。
そこに餅焼き網がかかっていた。
鯉の骨が散乱していた。
ひもじい時に慈年が竹小刀で射止めて食べたものであった。
背の低い慈念は床下をさっさと歩き、引きずってきた慈海の軀を内陣の倉庫の暗がりに置くと、むしろを被せた。
慈海の胸に耳を当て、やがて鉢頭を頷かせ立ち上がり、表庭へ戻った。
百日紅の下の蕗の葉を手暗がりの中、むしりはじめた。
この作業は一時間余かかった。
慈念の手は蕗のアクで黒く汚れた。
その葉を何度も床下に運んだ。
風はますますひどくなった。
慈念は裏庭から本堂裏に上がった。三畳に帰った。
翌8日は未明に起き、庭へ出た。
蕗の葉は残っていた。蕗にも砂利にもどす黒い血が飛び散っていた。
きれいに掃き清めた。
久間の平吉たちが平三郎の棺を下ろしたのは、午後7時半頃だった。
慈念は本堂の内陣の台に棺を乗せ、源光寺の雪洲を待った。
雪洲は通夜経を済ませると、すぐ帰った。
慈念は、平吉以外を書院に案内し、休ませた。
午前2時平吉は眠りこけ、書院に案内されて本格的に眠りについた。
本堂に戻り、香を鷲掴みにして焚いた。
経を読んだ。
唱じながら、平三郎の平三郎の棺の白布を剥がすと、棺の上蓋をこじ開けはじめた。
トントンという音が静寂を破った。
蓋の隙間に金槌が入り込み、それを押し込むと、慈念はギイギイと押し続けた。
しばらく音は激しく続き、やがてぽこんと短い音を立て、蓋は生き物のように自然に四方の釘をはがして浮き上がった。
慈念は平三郎の顔と棺の間の幅を目測した。
平三郎の冥土の持ち物は、法被と塗装の道具だった。
それらを隅にまとめた。
そして底の丸い大椅子を使い渾身の力を込めて畳に下ろした。
早足で下間から裏口に出て、大椅子をくるくる回しながら廊下に置いた。
慈海の軀は、むしろの下で強張っていた。
階段をすらせて廊下に引きずり上げ、丸い椅子に載せた。
強張った慈海の軀は、わずかにぐにゃっと動いて大椅子の中におさまった。
慈念は再び回しながら、下間から内陣に運んだ。
慈海の死体は、大椀に載せられた一匹の鯉に似ていた。
やがて死体を廻し運びながら、棺の傍まで来た。
力一杯持ち上げ、棺の端に硬直した頭が引っ掛けられた。
力を出して、軀を棺のヘリにすらせると、慈海はすっぽりと中へ入った。平三郎の向きと逆にして詰め込まれた慈海の顔は、平三郎の垢のついた毛ずねに押し付けられ、足は心もち開いた。
平三郎の胸と顔が中に挟まれ、慈海の足は、両脇の隙間に差し込まれた。
慈念は、平三郎の職人時代の法被を引き抜き、それを慈海の背中に被せた。
蓋を閉めた。釘を打ち付け、白布を元どおりにした。
蝋燭に火をつけた。
また観音経を唱じだした。

唱じながら、慈念は横眼で襖を見ていた。
慈念の眼が百目蝋燭の炎の揺れる中できらっと光ったのはこのときだった。
雁がみえたのだった。
雁は羽ばたいているように見えた。炎のゆれるたびに雁は啼いた。
慈念は経を読みながら、立ち上がり床下に戻った。
棺から出した平三郎の荷物といっしょにむしろの始末をした。
ゆっくりまた本堂に戻ると、ふたたび経を読みだしたが、そのときはもう白々と夜が明けはじめていた。
棺が出るとき、担い手になったのは、平三郎の田舎から来た兄弟たちであった。
前日担いだふたりは、穴掘りにでていたし、平吉は他の用をしていた。
「どえらい重い仏やな」
丹波で炭焼きをしている男がかすれ声で呟いたが、誰かが力を抜けば、その重みが他の者にいく。
そしてこの声は、四人の役僧と四人の小僧の唱和する経文の流れで消された。
砂利の上を棺は通り、雪洲が先導に立った。
やがて棺は墓地に入った。
すでに穴は開いていた。
棺は8人がかりで降ろされ、数分のちには黒土を被った。
慈念は寺に帰り、すぐ火を焚いた。
葬式のあとの散らかった造花や生竹や蕗の葉やら、それに残りの平三郎の荷物、また慈海の文庫も焼いたのだった。
そのすべてが燃え尽きるまで見つめていた。
焼いた灰は残してはならない。
それらのすべてが燃え尽きるまで見つめていた。

慈念はこのとき、孤峯庵に来てからの厳しい生活に打ちひしがれた月日を思い浮かべていた。
若狭の村にいても、京都に来ても孤独だった。
孤独な心を持って行き場のない慈念は、どんな夢を見てきただろう。
中学へ行っても、あるのは厳しい教練への恐怖と嫌悪だった。
今、慈念の頭には、騎兵銃を担いで京都の街々を皆の後ろからちょこちょこと歩いた屈辱が蘇るばかりである。
それでは寺の生活にどんな夢があったろう。
辛い日課の合間に、慈念が頭に描いた夢は、ひとつきりだった。
それは苦しい寺の生活の中で、時間さえ上手くやれば、葬式の棺桶に死体を詰めて殺人ができるという思いつきであった。
しかしこれはあくまで夢であった。
慈海はたった1度だけ寝坊した慈念を起こすため、離れた部屋の自分の足と、慈念の手首を紐で括った。
里子との情事の最中に、手の痺れるほど麻縄を引っ張った。
覗き見た慈海と里子の連夜の狂態。
その慈海をこの世からついに葬った。
久間家の葬式が済んで、しばらくたった頃、慈念は南嶽の描いた襖絵を見ていた。
眼には異様な光をたたえていた。
松の葉陰の子ども雁と、餌をふくませている母親雁の前だった。
慈念は、力一杯母親雁の襖絵に指を突っ込んで破り取った。
穴が開き、和紙の下張りが出て桟木が露出した。
狐峯庵から、慈念が姿を消したのは、その翌日のことだった。
住職慈海が失踪して、じつに13日目のことだった。
里子は慈念を探しまわった。
そして襖絵が破られているのを見つけた。
里子は蒼ざめた。
慈念が母親雁を毟り取ったことに哀れを覚えた。
ところが直後、慈念が破り取ったことと、慈海が失踪したことが関連しているのではないかという奇妙な疑惑を抱いたとき、彼女の背筋に恐ろしい戦慄が走った。
慈海がいなくなった日、慈念は久間家に読経に行っている。
死にかけている平三郎を見たはずなのに、何故言わなかったのか。

やがて里子は実家に帰り、狐峯庵には新しい住職が来た。
慈海と慈念そして里子にまつわる風評は絶えた。
岸本南嶽の描いた襖絵は、歳月を経た今日ではくすんだ小豆色に変わっているけれども、老松の枝にうずくまった雁の群れは美しく生きている。
むしり取られた母親雁のあともそのままである。

わたしはこの本が好きで、何度読んだかしれない。
人は生まれや育ちそして軀のこと病のこと、自分ではどうすることもできないものを抱えて、この世に登場する。
それはときに背負うには重すぎて、潰れてしまうこともあるが、他人はそれをどうこう言えない。
言えないはずだ。
とんでもなく恵まれて、それを自覚することもなく育った輩は、ときにあきれるような放言をする。

慈念は悪かったのだろうか。
もしそうならどうすればよかったのか。
この本を読んでから、わたしは水上勉の本を読み漁った。
「飢餓海峡」などは名作で、三國連太郎、左幸子という名優を得て、映画化され好評を博した。
それでもわたしには「雁の寺」の方が身近な気がする。
この古い文庫本、昭和44年発行で¥160とある。
古い家の押入れの奥の奥から見つけ出したもので、誰が読んだのかすらわからない。
わたしは古い物が好きで、その本箱が使えないかと引っ張り出したのであるが、盆栽の本や、婦人之友、中原なんとかいう人が描いた若い女性のファッション誌などといっしょにあった。

頑張れと言ってはいけない。
励まそうと、さらに不幸な人を出して、あれよりまだマシだろうと比較してはいけない。
死にたい人の邪魔をしてはいけない。

文藝春秋 (2012-09-20)
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