あきのそら サーカスのうた あこーでぃおん
小学校の低学年。
遠足は、春は武蔵寺で、藤の花、秋はいろいろ、三月のサヨナラ遠足は太宰府園の遊園地。
お決まりでした。
いくつもの鳥居を通り、最後の鳥居の手前で、当時、傷痍軍人と呼ばれた、もうその時ですら、戦争から二十年近く経っていたと計算するのですが、手足を失くした人が、アコーディオンで、美しき天然と確か呼ばれた、物悲しい曲を弾いていたものです。今にして思えば、テキトーな松葉杖ひとつ。装具などは付けてなかったように思います。
前にお金を入れる缶がひとつ。
服装は、上下白、帽子も白だったと記憶しています。
当時、園で遊ぶには、遊具ひとつ10円で、学校で許されているのは20円でした。
わたしはその20円を缶に入れたくて自分にハッパをかけたのですが、列を離れて入れに行く勇気がなくて、通り過ぎてしまった。
戦争で手足を無くしたのだから、それなりの保障はあったと思うのですが、当時の福祉がどうだったのかわかりません。
手足が一本無くても、アタマも臓器も達者なら雇いようもあると思うのですが、障害者を雇用する法律など無い時代だったと思われます。
もし、働き口が皆無だったなら、もしかして家でも居場所がなかったかもしれないと、よけいなお世話です。
親も先生も、決まったように黙っていました。