こはるびや たんじんばくはつ ごじゅうねん
1963年(昭和38年)11月
大牟田市三池炭鉱三川坑で起きた、炭塵爆発事故です。
400人を超える死者、800人を超える一酸化炭素中毒患者を出し、
戦後最悪の炭鉱事故、労災事故と言われています。
三池坑は斜坑となっており、坑口から1600mで事故は起き、
最初の救護隊が到着したのが、2時間経ってから、そのあとが7時間後。
この救助の遅れが、被害者を増加させました。
トロッコの連結がはずれ、火花を散らしながら、脱線、暴走。
トロッコがまき散らした炭じんが引火爆発し、有明海の海底で多くの坑夫が命を落としたのです。
「三池炭鉱に限っては、事故はない。実際何十年も起きてない」
といった「安全神話」があったとされています。
政府も雇用側も、一酸化炭素中毒は、短期間でほとんど回復するから、
心配ないと繰り返し、後遺症患者への補償は、十分行われず、
「ガス患」と呼んで差別した。
50年を経過した現在でも、80人が苦しんでいると聞きます。