若 き 日 の 至 り と 言 ふ て 花 樗

わかきひの 至りというて はなおうち

先日、父の三十三回忌の法事がありました。
いつもは、お呼びもかからないわたしが、これで最後ということで、声をかけて頂きました。
職場不倫の末、母親は出て行き、新しい24歳のキレイなお姉さんが「新しいおかあさん」になりました。
わたしが5歳、妹が3歳の頃です。
無謀な話です。
三人寄れば文殊の知恵などと申しますが、その何倍もの大人が知恵を振り絞って、愚かな結末に導きました。
幼い頃から、耐え難い虐待、その頃は躾と申しました。

これで最後と、わたしは遠慮もせず、言いたいことをぶちまけました。
もうこれで人を恨むことは最後にして、前に進みたかったからです。
人を恨むのは、エネルギーと時間の無駄です。
目的は果たしたと思います。
人の道に外れたことに気持ちが行くことは、誰にでもあることだと思います。
何とか手立てを考え、人を死ぬほど泣かせたり、人に死ぬほど憎まれるようなことは慎むべきことです。
長く尾を引きます。

わたしは「ローマの休日」が好きです。
ヘップバーン演じる王女は、身を焼くような想いを胸に、自分の立場を投げ出したりはしなかった。
あれが、おとなのとる態度であり、苦しみを享受する姿勢だと思うのです。
最後に響くグレゴリー・ペックの靴音がそれを物語っています。