けいとうの 赤きとさかに 昔を思う

なんであんな奇妙な植物を、昔の人は大切にしたんだろう。どう見てもきれいじゃない。雄鶏の鬱陶しいとさか、そのまま。いまの鶏頭は、品種改良されたのか、上品な小型種ばかり。小学生の頃、近所の農家の軒先には、立派な鶏頭が勝ち誇ったように赤いとさかをさらしていた。その家に、同級生がいて、たまに遊びに行ったものだ。両親は、農作業に出かけていて、その家の子供たちは、おやつに用意された、ふかしたさつまいもを、自分たちだけで食べていた。特にうらやましかったわけではない。味は簡単に想像できた。ただ、どういう教育をされたものかと、小学生ながら、不可解に思った記憶が鮮明。

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