「 大阪池田小大量殺人事件」 の宅間守

【わたしが出会った殺人者たち】佐木隆三著 新潮社版

2004.9.14 朝方 宅間守(40才) 死刑執行.大阪拘置所にて

大阪地方裁判所にて、「十分な責任能力があったことには、いささかの疑念も生じない」と死刑宣告。
国選弁護人は職権で控訴手続きを取ったが、本人が「無駄に生きていたくない」と取り下げ、死刑確定。

喉元から、贖罪の言葉が出かかっていたが、一言が出ず仕舞いで命を終えた。

2001.6.8 午前10時頃、宅間守当時37才
教育大附属池田小学校に刃渡り16センチの出刃包丁を持って侵入、1.2年生の4教室とその周辺で、次々に切りつけ、児童8人殺害、13人と教師2人に重軽傷を負わせる。

「単独犯行として、史上最悪の被告人」と著者。

遺族への調書 より
「司法解剖が終わって、包帯でぐるぐる巻きにされた遺体が帰って来たとき、親子3人で川の字になって寝た」と検察官が涙ながらに読み上げた。
宅間はその間、大きく広げた足の間に深く頭を垂れ、聴き入っていた。
自分のやったことをもろに聞かされることに、耐えているように見えた。
ところが翌日の新聞では、「被告は大きく足を広げ、反省のかけらも無し」
被告人は拘置所で新聞を読むことができる。
これらの報道で、態度を急変させたのではないか。
著者は、当時も今も強くそう感じていると。

「いつ池田小を襲うことを決めたか。」
「前日の夜の10時ごろ」
「なぜ池田小なのか」
「そこらのアホな公立校の子どもを殺すより、良い家庭の頭の良い将来のエリートに、日頃から目をつけていました。
自分みたいに、精神病院の屋上から飛び降りて怪我したような展望のないおっさんに殺されるような不条理を世の中にわからせたい。
なんぼ勉強できる子供でも、5秒か6秒で殺される、そういう衝撃を与えたかったんです」
「最初の教室で、5人殺している。
子どもの悲鳴は聞こえなかったか」
「聞こえました」
「そのとき止めようと思わなかったか」
「・・・・長い沈黙。やっぱり捕まるまでやる。
やりだしたら止まらへんかったです」
「1人何回も刺したとあるが」
「いや、1人1回です。
警察で、そんなことないやろと言われたので、たばこ吸わしてもらうために、
2回でも3回でもと答えました」
「何人刺したか覚えているか」
「全然。次から次に刺しよったら、後ろから取り押さえられました」

宅間守は、兵庫県伊丹市の共働きの家の次男に生まれる。
公立小学校に入る。
高学年時の担任教師は、「本質的には気の弱い小心者だが、弱い者いじめをしているときに、自分を取り戻せたのかもしれない」
6年になって、教育大附属に行きたいというが、お前の成績では無理だと一蹴されるも、母親に、願書を貰ってきてくれと懇願している。
「ええとこの頭の良い子しか行けへん」

公立中学に進む。
体格が良く、腕力があるので、弱い者いじめが目立ち、担任教師が親に告げると、工場を辞め、タクシー運転手になっていた父親は、「わしがコツコツ働いて養っているのに、親の顔に泥を塗るな!」と、木刀で打ち据えることもあったという。

尼崎市の県立工業高校に進学。
2年の3学期に「身体がだるく、精神的にしんどい」と訴え、母親が精神科に連れて行くと、精神神経症と診断を受ける。
本人が、さっさと退学手続きをとり、その直後に母親と家を出て、アパート暮らしを始める。
夫より3つ年上の母親は、家庭内暴力に苦しんでいたので、念願の別居だった。
身長184センチで、顔立ちも悪くない17才の少年は、ガールハントに熱中していく。

その後航空自衛隊に入隊するも、「自衛官の品位を傷つけた」と訓戒処分を受け、除隊のやむなきに至る。
小牧市の下宿先に10代の家出少女を連れ込み、性的関係を持ったことが発覚し、愛知県青少年保護条例違反に問われたからである。

1984. 大阪市の不動産会社に勤務していた宅間守は、強姦罪で告訴される。
管理していたマンションの女性の部屋に、家賃の集金を口実に上がりこみ、首を絞めるなどして強姦。
「どうせ女は泣き寝入りする」とたかを括っていたため、慌てふためいた。

同年、21才の宅間守は、母親に付き添われ、精神科受診。
高校2年のとき、この病院で、精神神経症との診断を受けていたため、精神病を装って逮捕を免れるためだった。
問診に、「幻聴が聴こえ、誰かに陥れられている気がする」と嘘をつき、母親も「息子から暴力を振るわれている」と口裏を合わせた。
精神分裂病として、閉鎖病棟に収容された。

病院の5階にあたる屋上から飛び降り、顎を骨折し、整形外科に移された。
本人の弁「精神科の担当医から、2、3年は入院してろと言われ、絶望した」

同年、大阪府警に強姦罪で逮捕され、責任能力が問題になったが、大阪地検の嘱託医が「理非善悪を弁別する能力はあり、性的異常者とみられる」と診断し、起訴された。
22才で、懲役3年の実刑。
奈良少年刑務所に収監。
出所後、看護婦試験の合格者名簿から、適当に選んで番号を調べ、19才年上の女性に、泌尿器科医師と偽って結婚、嘘がばれて、即刻離婚。

次が驚きでした。
19才年上の教員と二度めの結婚。
中学時代の担任教師である。
この妻のコネで伊丹市営バスの運転手となる。
強姦罪の前科がありながら、公務員になるのは不可能と思われたが、妻の依頼を受けた有力な女性代議士の「更生を妨げるべきでない」との要請で、伊丹市は採用を決めた。
就職から2ヶ月後、テレホンクラブの女性に対する強姦。
妻の尽力により、示談。
その後、その妻と協議離婚。

31才で、お見合いパーティーで知り合った女性と3度目の結婚。
9ヶ月後、妻から離婚調停申し立て。
その際堕胎手術を受けたので、
「自分のタネで、健常者の子をつくり、それまでの人生をチャラにしたかった」と妊娠を喜んでいた宅間守は激怒した。

後に起こした池田小事件の、戸谷茂樹主任弁護士は、
「君が起こした罪の重大さに思い至り、謝罪の意思を明らかにしてほしい」と
初公判から語りかけている。
それどころか、宅間守が「永山則夫の本を読みたい」と言うと、ベストセラーになった「無知の涙」などを差し入れた。
「君も手記を書いてはどうだ」と原稿用紙を差し入れた。
国選弁護人による弁護活動としては、めったにあることではない。
死刑相当事件の弁護活動は、被告人の言い分を代弁するだけのことが当たり前となっている。
この場合の弁護人の職責は、被告人の防御権の行使であるから、
「謝罪の意思を明らかにしてほしい」と言うのは、筋違いとみることもできるとのこと。
現に人権派弁護士から批判も受けている。

しかしながら、事実関係を争わない被告人が、いかに残酷非道なことをしたかは、弁護人が詳細を知っている。
それをわかっていながら、「こうなったのは、父親や三番目の妻に責任がある」と代弁するのであれば、弁護士以前、人間としてどうかと思う。
その点、宅間守の弁護人は「人間らしさ」を取り戻させようと努力したと言えると著者。

裁判が進むにつれ、宅間守の芳しからぬ行状が、追い打ちをかけるように明らかになる。
妻へのDV、傷害事件、詐病にて入院、兵庫県市町村共済組合に「分裂病のため働けない」と疾病手当金を受領、精神障害手帳の交付を受けるなどなど。

判決当日、意味不明はことを喚き散らし、退廷を命じられている。
理由は「遺族が、死刑判決を受けた自分の表情を見たがっているから」
喚き散らすなか、こうも言っている。
「あの被害者は、母親の連れ子だ。
血のつながっていない父親が、法廷でこれ見よがしに涙を流すのは白々しい」
どうやって調べたものか。
いかにも宅間守らしいと著者。

宅間守は、死刑が確定する直前に、獄中結婚している。
相手は、死刑廃止論者のキリスト教徒らしい。

2010年、新潮社から長谷川博一著「殺人者はいかに誕生したか」
長谷川氏は臨床心理士であり、対話を通し心を理解し、人生の歩み直しの手伝いをしたいと自己紹介にある。

初めての面会時、宅間守の毒舌を聴くことに徹した。
「世の中は理不尽や。学歴と金がものを言う」
3回目からは、後悔ばかり。
「パイロットやったら、それなりにうまくいってたんやないか」
宅間守は、池田小を後悔してるかとの質問に、静かに頷いたという。
「子どもたちには何の罪もない。
自分が子どもの立場やったら、無念やったろうなぁ。
ほんまはな、途中で、もうやったらいかん。やめないかん思って、そやけど勢いが止まらんかった。
誰かに後ろから羽交い締めされたとき、やっと終われるってほっとしたんや。
良心の呵責ですわ」
長谷川氏は、「良心の呵責」と言う言葉が出たことに、驚かずにはいられなかった。
それまで誰も聞けなかった、彼の本心だと思った。

弁護人の求めに応じて書いた手記に、
「素質、運、環境だけでは、片付けようのない、故意に邪魔する第三者の存在で、人間の運命は決まるのだと思う。
けったいなオヤジ、非常に頭の回転の悪い、不安定な母親。
悪いランクの精子と卵子の受精で生を受け、前頭葉に機能障害の可能性ありと鑑定医が示している」と書いている。

そんな宅間守が、「子どもたちには何の罪もない」と漏らした。

「執行されました」との妻からの電話で、向かうと、無縁仏の納骨堂に柩が置かれていた。
大柄な遺体は、柩いっぱいに納められ、長谷川氏の目には、男の子の眠る姿に重なったという。
命をもって罪を償い、純真無垢な子どもの心に戻れたのかもしれないと感じたと。
妻は遺体の引き取りを強く望んだ。
柩の乗った車に乗り込もうとした妻に、職員が囁いたという。
「○○さん(妻の名前)に、ありがとうって伝えてほしいねん」
長谷川氏は、妻からこの話を聞き、
「モンスターが40年かけて、初めて知った家族の絆があったのかもしれません」
獄中結婚から、死刑執行まで毎日面会に通った妻だった。

わたしは、ここまで残虐な事件を起こすには、残忍な心を持つのには、人生の中で何かしらのターニングポイントがあったのではと思わずにいられないのです。
親に叩かれ、赤貧の苦労をした恵まれない子どもは、可哀想なことですが、宅間守だけではないからです。
人間ではいられない、何かがあったのではとずっと思っていたので、この本を見て飛びついたわけです。
そこまでの解明はなかったけれど。
永山則夫のことを読んだときも、人間って究極のとき、人間であることをを捨てるしかないのではと思いました。
世の中が、被害者とその遺族に想いを寄せるなか、どうしてか加害者に目が向いてしまうわたしも、どこかズレているのでしょうか。

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