新米を とぎとぎ思う 人の裏

まず新米、私が食べているのはスーパーのしんまい。おそらく透明感溢れる米粒のはずなのに、なぜか白い米粒が多い。まあ、それはいいとして、人は米を研ぐとき、あまりいいことは考えないものらしい。映画「あくにん」では、妻夫木演じる孫が犯人として追い詰められる場面で、祖母のキキキリンが、米を研ぐシーンがある。ただひたすら米を研ぐ。それも音からしてかなりの量。だれが食べるんだ。あの音が、心のうちをあらわして、せつない。あのときのあの人の挙動、笑い、ひとつひとつを検証する。米を研ぐとき、ひとはそういうことをするような気がする。そして、この先の人生で、抱えきれないことに遭遇したとき、じっとしていられず、わたしは米を研ぐかもしれない。ほかになにができる。本当に重苦しい闇をもったとき、人は人に相談などできない。どうやって自分が壊れないように耐えるか、それだけだと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください