市内電車


old style tram / tsuda

もうずいぶん前のこと。
福岡市内には市内電車が走っていました。
どんたくには花電車として、一世を風靡した時代もありました。
電停は、道路の真ん中に細長くあって、当時それほどクルマが多くなかったせいか、立っていて恐怖感はありませんでした。
むしろわたしは電停に立つことが面白かった記憶があるくらい。
市内には大きな公園が幾つかあり、わたしが一番好きだった公園は、一番人気のなかった東公園。
日当たりが良くなかったのか、あまり明るいイメージはなく、植えられていた植物も地味で、なんという名前か、キャベツみたいなのが、植え込みにいっぱいあったのを憶えています。
昔のなんとかいう人の銅像はそのままに、公園は県庁に変わってしまいました。
特に反対運動もなかったのは、東公園がよくよく人気がなかったからでしょうか。
残念に思ったのは、わたしだけだったのでしょうか。
東公園に行くには電車です。東行きの電車は、ふつうに走り出します。
そしてたしか千鳥橋あたりで、敷石からふつうの軌道に入り、スピードが上がります。
音もガタゴトいってたのが、ゴーっという音に変わるのです。
当時馬出(まいだし)地区は、貧しい家が多かったのかもしれない、トタンの錆びた屋根が、電車の車体すれすれにあって、それはそれで印象深いものでした。わたしはあの電車が好きでした。
生まれ故郷の筥崎に近かったからだと思うのです。
故郷は母といたところ、そのすぐ後あの人は去って行った。
いつまでも卒業できないわたしは、一人で何度も行った。
あの電車に乗って。
誰かあの電車を憶えている人はいませんか。
あのじめじめした東公園を好きだった人はいませんか。

この句も読まれています。

夏 怒 涛 秀 吉 の 夢 名 護 屋 城 なつどとう ひでよしのゆめ なごやじょう 1592年から6年にわたって、秀吉は朝鮮出兵を行ったとのこと。 理由はいろいろ、さまざま語り伝えられているようです。 戦さが無くなって武士の働き口がなくなったからだとか、秀吉が年老いてから授かった子が亡くなったからだとか。 また、スペインが侵攻してい...
我などを 慕う人あり ちまきもて こんな私でも、元気にしてますかといってくれる、前の仕事の後輩が一人いる。 料理がうまく、中華ちまき作ってくれた。 意外なこと。 この人は一生の友達と思っていた人からは、なんの連絡もない。 同性ならこっちが好きなくらい、相手からも好かれていると自信があったのに。 意外と私は嫌われていたのだろう。 おめ...
海 の 色 映 し て う る め の 眼 か な... うみのいろ うつしてうるめの まなこかな うるめイワシ。 体つきは丸く、身体は青みが強い。 「うるめ」と名前にあるのは、脂瞼(しけん)という、透明な膜で、眼が覆われているため、うるんでいるように見えるからだと聞きます。 透明なうろこを通して、青い体が透けて見え、とてもきれいです。 眼の周りまで海の...
人 生に や り 直 し な ど 柘 榴 の 実 じんせいに やりなおしなど ざくろのみ 人生にやり直しなどきかないことは、誰もが知っているはずなのに、人にはウソばっかり言います。 いい加減ななぐさめや、テキトーな励ましなどいらないのに。 自分のあずかり知らぬところで、スタート地点からまちがった人間はどうすればいい? 修復に、気が遠くなるほ...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください