よ く 漕 げ ば ふ ら こ こ た わ む 空 近 し

よくこべば ふらここたわむ そらちかし

ふらこことは、ブランコのことです。

子供のころ、近所の神社の片隅にあった、ブランコとシーソー、ひと幅の鉄棒でよく遊んだものでした。

ブランコは、静かにこぐぶんにはいいのですが、ある高さに達すると、たわむと言うか、一瞬ふわっと体が浮く感じがして、臆病者のわたしは、口には出さなかったけれど、けっこうこわい思いをしました。

勇敢な友だちは立ってこぎ、どこまでも力を抜かず、勇ましかった。

そんな子は、縄跳びも上手く、縄を唸らせて連続二重飛び、大縄跳びもリズミカルに入ったり抜けたり。

命がけのわたしとは大ちがいで、見惚れたものです。

この句も読まれています。

石切り場 一時雨(ひとしぐれ)きて 日は暮れて... 石切り場のあの無味乾燥な雰囲気が、一雨くると 表情を変える。 石は濡れて潤い、瑞々しい。 この先ひと雨ごとに秋から冬へ季節は移ろう。 柿や銀杏の落ち葉が楽しげに散るのとはちがい、 大きな石が尖ったままに雨に濡れるのは迫力がある。 雨が降るたびに、落ち込むことができるというか、 それほど頻繁に辛いこと...
万 緑 の 滴 り い ず れ 大 滝 へ ばんりょくの したたりいずれ おおたきへ 大河も最初の一滴から。 深山の、糸のような細い、流れとも言えない水が、長い距離、長い時間をかけ、小川になり、ホタルを育み、湧き水として有り難がられ、豆腐屋やそば屋に使われ、本流に近づきやがては合流します。 平野と言われる広い水田を潤し、飲み水になり、導...
いつの日も 秋の金魚の 心地して k金魚は夏。秋にもなると、季節外れ、誰彼の興味もうすれ、存在も忘れられそうな。別にいいけど。とんでもない不幸でなければ、我慢できる普通ならいいけど。...
追悼 伊藤通明 先生 伊藤通明先生 ・ 自句自註 「 曼 珠 沙 華 ほ う ほ う と 野 の 煙 出 し 」 先月亡くなった伊藤通明先生の昭和34年の作品。 わたしは縁がなく、お目にかかることがないまま、亡くなった。 気になった「野の煙出し」とは、現在の国立福岡東病院。 そのむかし結核療養所 清光園の火葬場の煙突か...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください